カテゴリ:ひとりごと( 100 )

日曜劇場『99.9 刑事専門弁護士Ⅱ』

カブ乗りイラストレーターでいつも仲良くしてもらっている、
小川けんいちさんが、
2月25日の日曜劇場『99.9 刑事専門弁護士Ⅱ』に、
チラッと出演します!!!すごい!
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上の画像のとおり、実はこのドラマにでてくる「アフロ居酒屋いとこんち」には、
小川けんいちさんが描いているイラストがいくつも飾られています。
それだけでも、すごいなーと思っていたのに、

ついにご本人登場です!!(笑)
まぁチラッとらしいですが…

しかもカツラかぶって出てくるそうなんですよ!
やっぱアフロなのかなあ?
どっちかっていうと、偽浜省で出演してもらいたいんだけど(笑)

ぜひご覧ください!
居酒屋のシーンになったら、まばたきせずに探しましょう!


テレビネタをもうひとつ…

3年くらい前に仲良くなった、毎年冬になると富良野にスキーに来てくれるロイ&レイ夫妻。
あまりのフレンドリーさに、北の峰側では二人を知らない人はいないくらい有名人です。
(知ってるリフトスタッフを見るとすぐハグするから、リフト乗り場の二人の後ろがプチ渋滞になるw)

一緒にラーメン食べに行ったり、芦別の温泉に行ったり(日本人以上に長風呂でした…完敗)、
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ホテルの朝食に招いていただいたり、楽しい時間を共有させていただきました。

そしたら富良野の駅前でテレビの取材にあったそうで!
「Qさま」って番組にしっかり出演していました~(笑)
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放映では使われなかったけど、インタビュアとのやり取り↓
「富良野は北海道のへそと呼ばれているんだけど知っているか?」
「知っているよ、真ん中だからだろう?」
「すごい!どうして知ってるんだ?」
「ワダから聞いた」
「ワダって誰?」

ラーメン店での写真、右がボーリング仲間でもありリフトスタッフの和田っちです(笑)
また来年、会えるのが楽しみです♪

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by yas-mid | 2018-02-15 07:28 | ひとりごと | Comments(4)

850円

最近の私は、青色申告にむけてパソコン作業に勤しんでおります。

日々の売り上げをパチパチと入力していたら、
一日の売り上げが「850円」ていう日があったんですよ!!!!
850円ですよ!朝9時から午後2時半まで営業して、850円(私の時給はいくらでしょう?)
昨年は12周年の13年目で、そこそこ長くこのお仕事やってるんですけど、850円て(笑)
伝票を見ると、コーヒー400円がお一人と、カプチーノ450円がお一人、別々のお客様でした。
この日のお客様はこのお二人だけということです。

さて、どう思われますか?
一般的に考えて、そんなの商売としてどうよ?って思うかもしれませんね。
朝早くから起きて、掃除して、仕込みしたのに、無駄じゃないか?って。

私はどれが誰の伝票だかわからなくなっちゃうから、伝票に名前を書くクセがありまして、
だからこの日のたった二人のお客様がどなたかわかっているのですが、
この日は雨と風がひどく嵐のような日で、悪天候のせいで仕事がキャンセルになって時間ができた、と立ち寄ってくださったお客様、
遠くにお住まいですが富良野に縁がある方で、他に誰もお客様がいないことをいいことに、
マル秘なことも含め、とても話が盛り上がりましたので、よく覚えています。

そんなことも含め、私はこのカフェ業が好きです。
たった850円の売り上げでも、お店を開けなきゃよかったとは全く思いません。
むしろ、嵐だからご来店いただけた、ヒマヒマな日だからいっぱいお話ができた。
だからたまにはこんな日があってもいいと思っています。しょっちゅうでは困りますが(笑)


ところで、2015年に北海道をカブツー中にご来店いただいた、栄ちゃんという旅人がいます。
息子のように年下ですが、人間としてとても尊敬できるところがあって、
その後は会っていないけど、時々ブログやツイッターで、彼の旅の様子などを楽しませてもらっています。

彼のブログで、こんな記事がありました。

ネットニュースで、
という記事があり、
それを読んだ栄ちゃんが、

「50歳すぎても、バイトしながらやりたいことやり続けてるのって、腹くくってて、むしろ素敵でしょ。」

と意見を述べています。

なんかね、ほめられた気がしたの!(笑)
まだ50歳は過ぎてないけどさ(笑)

毎年、青色申告で、売上数字をバーン!と見せられそれを受け止めるたびに、
うう、苦しい…
となるのですが、

その割には、行列ができたり回転の速い、儲かるけどせわしないカフェにはしたくない。
さらに、バイクは増えていくしバンド活動もやめないし、
好きなことを我慢しようとはしないんですよね…
そのせいでいつまでたっても辞められないバイトはもう10年になります(笑)

生活は苦しいですが、ノラというカフェ業は楽しいし、好きなことばっかりやって、
金はなくとも精神的に豊かに暮らしていければ、
まあいいか!
と、開き直って青色申告を提出してきます!(笑)





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by yas-mid | 2018-02-12 21:18 | ひとりごと | Comments(5)

北海道みやげ

2月前半はずっと寒い日が続きましたが、
その分、きれいな景色も楽しませてもらいました♪
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寒さもピークを過ぎたので、これから少しずつ春に向かっていくことでしょう!
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さて、毎年バレンタインに友チョコをやり取りしている友だちがいるので、
今年は何にしようかな~と、先日、ネットを徘徊していました。
北海道のお土産って、北海道人はもらう機会が少ないもんで、
あえて、ザ北海道なチョコ系お菓子にしてみようかと検索していましたら、
変なの出てきて笑いました。
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豚丼チョコ(笑)しかもちゃんと専門店の。
他にも、味噌ラーメンチョコと、スープカレーチョコも売ってました。
絶対おいしくないでしょー

まずそうといえば、これもヒドイ☆変な色したスープカレー…
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いやいや、そういうんじゃなくて、ちゃんと美味しい有名店のお菓子ね。
と、お土産屋さんサイトを見ていましたら、
チョコじゃないけど、何これ!!!
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クマとサケが逆です(笑)(笑)
テレビで放映されてすごい人気らしいです!わはは!いらない!

いやー、北海道のお土産なんてなかなか買わないから、
たまに見ると楽しいですねー!

そういえば昔、北海道庁で買うことができた、
「北方領土返還せんべい」
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これ最高にシュールで好きだったんですが、
今は売られていないようですね。
「粘ったかいがあった」「四島全部よね」など、
道庁で売って大丈夫なのか!?というドキドキ感がたまらなかったのにー
やっぱりヤバイってことになったのでしょうか。
プーチンさんへのお土産に、安倍さんに持参してもらいたかったなあ(笑)

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by yas-mid | 2018-02-08 20:29 | ひとりごと | Comments(0)

プレイバックその4(最終回)

ここ数年かかって作っていた高規格道路、
ついに今年度、開通予定です。

私はこの道路建設には反対派ですが、
もうできあがってしまったものは仕方ないですね。

ノラのそばに「富良野南インターチェンジ」ができます。
というわけで、こんな高速道路っぽい看板が付きました!
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ぷぷぷ!旭川十勝道路だって!
学田から上五区までのたった8.3キロなのに(笑)

インターの入り口のところに、信号ができるようです。
下五区に初めての信号機!(笑)
農家さんたちは、少し離れた自分の畑に行くにも信号につかまるのは面倒だなあ、と言っていますが、
この道路は時々アホみたいに爆走する危険な車がいるので、
途中に信号がついてくれるのは、いいかもしれません。

鉄道は赤字だからいらないって言われるけど、
道路だって同じだけ赤字なのにー。
誰も走ってない道路の維持に、ものすごい税金が使われていることは誰も責めないんですよね。
そっちには税金じゃぶじゃぶ、鉄道はJRの資金だけで頑張れないから廃線、不公平だと思います。

さて、修行時代の日記をご紹介するプレイバックシリーズも、いよいよ最終回です!
ヤスさんのアメリカ紀行、いろいろと時代を感じる文章ですよー(笑)

*******************************

激動の春だった。
突然ではあるが、コーミエー先生一家はアメリカバーモント州に引越しをして、ENZOアメリカをたちあげることになった。
ENZOジャパンは、というと、YASUが切り盛りすることになったのだ。
丸2年、炎創窯で働いてきて、窯も一人で焚けるようになったし、少しずつ作品も作らせてもらって、陶芸の事は、ひととおりできるようになったと思っている。でも、お金のこととか、取引業者さんとのこととか、町内会とか観光協会とか…、陶芸から庭の管理まで、全部を自分でやるというのは、さすがに不安がいっぱいである。
コーミエー先生は言ってくれた「コレハ、YASUニトッテ、ビッグチャンスダヨ」そう、独立を目指すYASUにとっては、これはものすごい勉強になる。いつかは一人で全部やらなくてはならない時がくるのだから。
そしてコーミエー先生一家出発の日。いつものように賑やかに出かけていった。まるでちょっと近くの温泉に、という感じで…夕方になればまた帰ってくるような気がしてならなかった。
観光シーズンにはまだ早い炎創窯に、静寂が訪れた。子供達のケンカする声も、それを叱るゆうこサンの声も、ロックを歌うコーミエー先生の声も聞こえない。ニワトリ達が別れを告げるようにグワグワと騒いでいた。

1月3日~14日まで、現在コーミエ先生一家がいるアメリカ・バーモント州のウォーレンという街を訪ねることになった。
YASUにとって、実は初の海外旅行。それが一人旅。パスポート取得からもう何もかもが初めまして状態。
それでも靴とカバンを新調し、ズボンの下に装着するお金を隠し持つための秘密ポケットみたいなやつも購入して、快晴の千歳空港からニューヨークまでの長い長い空の旅が始まった。

ニューヨークでは、ニューアーク空港というところに降りる。このあともう1本、バーリントン行きの飛行機に乗り継ぎとなるのだが、成田からニューアークまでの機内は日本人と外国人が半々くらいだったのに、入国審査・税関とひとつひとつ手続きを進ませるにつれ、だんだん外国人だらけになっていく。というか自分が外国人になったんだよね、そういえば。
同じニューヨークの空港でもJ・Fケネディ空港は観光客も多く治安も良いけれど、ニューアークは絶対に空港の外に出てはいけない、と何かに書いてあった。
2時間ほど待ち時間はあるけれど、空港内でおとなしくしていようかと思ったのだが、さすがはアメリカ、空港内には煙草を吸える場所がひとつもないのだ。喫煙コーナーもなく、空港の外にやっとひとつ灰皿が置かれたベンチがあるようだ。もうこうなったら出てみよう、ということでそのベンチへ。

アメリカなんだからアメ車がいっぱい走ってる中いかにも危なそうなギャングみたいのが歩いているのかと思ったが、歩いている人も普通だしアメ車よりむしろスバルやホンダの車が目立ち、それほど違和感はない。でもなーんだか空気が怖い。スパスパとすごい勢いで煙草を1本吸ってそそくさと空港内へ。そばで見ていた人は「日本人はずいぶんせっかちに煙草を吸うんだなぁ」と思ったことだろう。
1時間と少しでコーミエ先生の待つバーリントン空港に到着。半年振りの再会を喜んだ後、さらに1時間半ほどで先生宅に到着。時計は夜の12時を過ぎていたが、時差ボケがあってもう何がなんだかわからんわ。

翌日から、コーミエ先生と二人で2泊3日のニューヨーク旅行へ。約6時間のドライブで到着したニューヨークは、さすがにデカイ!!
マンハッタンやクィーンズ周辺など観光名所もかけ足でまわりながら、陶芸のギャラリーをいくつか訪ねる。
そのあと、ニューヨーク近代美術館へ。ピカソのホンモノとか、そういうすごい美術品がさりげなーく置いてあるのがすごい。時間がないので少ししか観れなかったのが残念。
ランドマークタワー65階のレインボールームで、素晴らしい夜景を眺めながらビールで乾杯。世界中の観光客が集まる名所なんだろう、メニューを見ていたらハンバーガーが3000円くらいしていたぞ。誰が食べるんだろうそんなハンバーガー。

次の日は、コーミエー先生のお母さまも付き合ってくれて3人でニューヨーク満喫!という一日。
メトロポリタン美術館、ホイットニーミュージアムなどの美術館めぐりの他、アメリカンクラフトミュージアムや陶芸のギャラリーもまわる。メトロポリタン美術館は、あまりに大きすぎて全部見るには一週間くらいかかるほど。世界中から観光客が来ていてけっこう混んでいた。
ランチには、ニューヨークNO1という評判のチーズバーガーを食べるためブルックリンダイナーという店へ。20分ほど並んでやっとありついたそのチーズバーガーは本当に絶品!うますぎる~ニューヨークに来てホント良かった♪
夜は地下鉄に乗ってタイ料理を食べに行った。やはり日本の地下鉄のようにキレイではない。行きはそれほど感じなかったが、帰りの時間になると地下鉄はちょっとヤバイ雰囲気。ひとりじゃなくて良かったなぁ。
次の日も陶芸教室などまわり、刺激的だったニューヨークを後にしてコーミエ先生の自宅へ戻る。

翌日から2日間は、コーミエ先生のアトリエ、ENZO‐AMERICAにてお仕事。相変わらず歌を歌いながらの先生と一緒の仕事は、久し振りで楽しくてあっという間に時間が過ぎていった。
また、せっかく国際免許を取ってきたのだしと1人で車を運転しておつかいに行くようになった。思っていたほど問題はなく、ハイウエイにも乗ったぜイエイ。
お店では、日本人だからだろう、みんなとても真剣につたない英語を聞こうとしてくれ、YASU1人にスタッフが2人のVIP待遇。あーでもないこーでもないとアドバイスをくれる。とっても親切なのが嬉しかった。

こっちへ来て7日目。今日は1人でスキーに行くことにする。
先生が住むウォーレンという街はスキーリゾートで、街の規模や雰囲気は北海道のニセコにとてもよく似ている。近くのシュガーブッシュというスキー場に行った。
いろんな国の人たちがたくさんいるニューヨークとは違い、この街では白人が圧倒的に多く、日本人どころかアジア系の人を見かけることすらないので、YASUはけっこう目立っているようだ。
スキーをレンタルしに行って、用紙にJAPANと書き込むと「日本人はスキーをするのか?」などと聞いてくる。とにかく珍しいようだ。
実はYASUはけっこうスキーは得意な方なのだが、自分のレベルを書き込む欄があって、分け方を見ながらエキスパートってところに○をしたら、「おいおい大丈夫か?」なんて言われる。
初めてカービングスキーに挑戦!すげえターンしやすい!プロか俺は!日本のスキーヤーをなめんなよ!と調子こく。
EDENというコースの入口に看板が立っていた「1人で入るな!何があっても救助は時間がかかる」と書いてある。ノリノリのYASUはもちろんGO!するとまた看板「それでも行くか!?よしっ!これがバーモントの自然のゲレンデだぜ!」なんて書いてある。楽しいねえ。EDENコースもニホンジン独走!どーだまいったか!

日本のスキー場と違う所いろいろ。まず、コース規制などがうるさくない。リフトの下だろうが林の中だろうがどこを滑ってもOK。一日券は日本のようなカードではなくステッカー。強力な粘着力ではがす際には破くしかない、つまり、使いまわしはできないようになっているのだ。また、ナイターもない、暗くなってまで滑る人はいないのだろう。
そして一番エライのはスタッフが必ず一人一人に話し掛けてくれること。リフトに乗る際も「調子はどうだ?」とか「ここに来たのは初めてか?そうか楽しめ」とか「ひとりでもくもくと滑っているな、熱心だな」とか。国民性の違いなのだろうが、日本もこうだったらもっと楽しいのに。

帰りのバスの運転手さんとすっかり仲良くなった。陶芸が趣味だという彼は札幌オリンピックを観に来札したことがあるらしく「今でも北海道の人は狩をして暮らしているのか?」などと聞いてくる。
札幌オリンピックは30年前、すでにそんな暮しをしている人はいないはず。おそらくアイヌの文化か何かを見て勘違いしているのではないか。
彼の名前はヒッキーというそうで、宇多田ヒカルのような名前だが顔はお茶の水博士みたいだった。
こうして遠い異国の地でスキーの技術が開花したように見えたYASUだったが、後日ギャフンと言わされることになる。続きは後編で。

9日目。今日はコーミエー先生とそのお父様と一緒にスキーの日!8時半から朝イチのパウダーを狙いに行く。
先日よりもさらに5センチ短いカービングスキーを借りて、モーグルに挑戦してみた。やっぱりオレはそうとうウマイ!!もしかしてバーモントで何かコツをつかんでしまったのか?背中にJAPANと書かれたウエア着てきても良かったかも?
と、さらに調子こいていたら、11時にコーミエ先生のニューヨークの知人が合流してきた。
これがのけぞるほどハンサムなのである!映画スターがやってきたのかと思うほど。
ジョセフ?とかいう彼、トムクルーズとブラッドピットを足して2で割ったような顔とスタイルなのだ、ホントにそうなのだ。歩いても話しても、どんなことしてもカッコいいので、なんだかちょっと悔しいような気もするのだが、まぁいいや、ここはスキー場さ、ゲレンデではオレについて来いって感じ。などとつぶやきつつそそくさと滑りに行く。
するとなんてことだろう、ジョセフはめちゃめちゃスキーがうまいのだ!速く、爽やかに、気持よさそうに、YASUの横をすり抜けていくのである!その後ろ姿は蹴飛ばしてやりたいほど美しいのである←完全にねたみ。
彼女を連れてきていたが、単なる友人だと言っていた。シングルライフをこよなく愛する彼は「オレはギターと結婚するんだ」と言ってくれたのだ。もうカッコ良すぎて完敗なのである。

イジケたわけではないが一人カフェテリアに行ってみた。先日も来たばかりだからか、多少顔なじみになったようだ。またコーヒーを買う。レジの横にコーヒーカップが置いてあり、そこにチップを入れるシステムになっている。小銭に混ぜて日本の5円玉を入れておいた。後で驚くことだろう。

早いもので、初めての海外旅行ももう終わりである。コーミエ先生一家にお世話になったお礼と少しの間の別れを言い、空港へ向かった。
その頃ニューアーク空港では、今年からヤンキースへ入団が決まった巨人の松井選手がやってくるということで、日本とアメリカの報道陣が押し寄せて彼の到着を待っていたというのに、別の出口から逃げられてしまってガッカリしているところだった。
YASUがそれを知っていれば、間違いなく松井のモノマネをしながら空港を歩き回り「ま、これでもいいか、ジャパニーズだし」という適当なアメリカのカメラマンに写真の一枚でも撮ってもらったことだろうが、何も知らない彼は「ずいぶんカメラマンがいるけどなんか事件?」「松井のポスターがずい分貼られているんだなぁ」くらいにしか思っていなかった。

十数時間後、懐かしの旭川空港に降り立ったYASUは、「とりあえずラーメン喰いたい」と時差ボケを感じさせない相変わらずの食欲を見せつけていた。

終わり

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by yas-mid | 2018-01-31 10:53 | ひとりごと | Comments(2)

プレイバックその3

先日、ガンダムとザクが富良野にスノボしに来てましたよ(笑)
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アムロー!て声かけるとちゃんとポーズを決めてくれます(笑)
修学旅行生にも大人気だったようですよ!
ニングルテラスなどもウロウロされていたようですが、
ウエアを脱いでも中もモビルスーツ柄の服を着ているらしい(笑)
こういう人たちがゲレンデにいると楽しいですね♪


さて今回も、美瑛時代の日記のご紹介です、3話目です。
次回で最終回の予定です!
1話目・2話目をまだ読んでない方は、そちらを先に読まれることをオススメいたします♪

***********************

「ツギノカマハ、YASU、ヒトリデヤッテゴラン」
窯焚きの一連の作業を一通りできるようになったYASUに、コーミエ先生からの驚きの提案。最初から最後まで、先生の助けとフォロー無しで、やってみることになったのだ。来月に個展を控え、絶対に失敗できない窯焚きだというのに、先生も勇気あるなぁ。

そして当日。30分ごとの温度チェック以外にも作業や接客があるわけで、その30分のタイミングをやり過ごしてしまうことが一番の不安材料だった。YASUはデジタルな腕時計を持っていないし、針の目覚ましを30分ずつ正確に合わせるのはなかなか難しい。
何か良い方法はないものかとうろついていたら、見つけた!台所にあるキッチンタイマー!これは正確に30分を教えてくれる。紐をとおしてキッチンタイマーを首からぶら下げる。これで安心だ。
接客していると、胸にかかったペンギンの形をしたタイマーからメルヘンチックな大音量が30分を告げてくれる。ラララ~♪お客さんもビックリである。

36時間かかって初めての一人きりの窯焚き終了。均等に温度があがらないなどハプニングもあったが、出された作品は問題なく焼きあがっていた。ホッと胸をなでおろすYASU。多分コーミエ先生もそれ以上にホッとしたことだろう。

2週間後、また窯焚き。今回の窯には、YASUの作品も入っている。今までのような、練習で作ったものではなく、炎創窯の印が入った正式な作品だ。
どーだどーだ。作っちゃったんだもんね~!今まで以上に気合を入れて窯入れ。ちゃんと焼けてくれよ頼むよマジで。
そうつぶやきながらレンガで蓋を閉めていると、後もう少しというところで一匹のハエが窯に入っていった。少しとまどったがハエ君が出てくるのを気長に待っていてあげる時間はないのヨ、と最後のレンガをはめたのだった。ゴメンよ。点火。

個展である。テーマは「初雪」。
それに合わせて作られた作品が並べられる。陶芸作品だけでなく、コーミエー先生の絵画も展示される。それがどちらにもちょうど良く影響して、素敵な会場が出来上がった。
実は、たくさんの作品に混じり、YASUが作った初の炎創窯印入り作品「JAGA」もこっそり2個置かれていた。

さて、待ちに待った初日。YASUが想像していた以上に、たくさんの人が会場を訪れてくれた。初日ということもあり、先生の知人や日頃お付き合いのある方々が多かった。
美瑛のペンション「エルミタージュ」のオーナーさんが顔を出してくれていた。普段からよく遊びにきてくれて、今回もお花をいただいたり何かと良くしてもらっている人なのだ。その彼が、作品を見ていると、JAGAの前で止まった。手に取ってしげしげと眺めているではないか。
久々のスーツ姿のYASU、大汗。体中を罪悪感が走る。告白しなくては。
駆け寄って小声で話す「これはアレなんですよダメなんですよつまり僕のだったりするもんでちょっとまぁ…」
「えーっ!そうなの?すごいじゃない、コレ買うよ」とあっさり御成約。めでたくYASUの作品第一号が世に出る事になったのだ。感動。
コーミエー先生も大喜びしてくれた。それからなぜか水沼家の娘いくチャンがウルウルしていた。この界隈では最高にめでたいニュースだったのである。

個展開催中、美瑛のギャラリーを閉めるわけにも行かないので、YASUは初日と混みあう土曜日以外は美瑛でお留守番をしていた。
2日目、3日目と進み、先生が帰って来るたびYASUに伝えてくれる「キョウモJAGAウレタヨー!」。5個まとめて買ってくれた人もいたそうで、みなさんありがとうございます、それ、僕のです。

2回目の年越しもやっぱり美瑛で。恒例の水沼さんちでの紅白観戦のあと、近くの神社でおみくじ2年連続の「大吉」を引き当てる。はっはっは、今年も絶好調の気配。
5日間の札幌帰省で体重を増やした後、我が家に戻る。いつも聞こえてくる子供達の声がないのは、なんだかとてもサビシイ。
というわけで、子供達が帰ってくるまでに、大きな「かまくら」を作ってあげることにした。
まず、去年の暮れのうちに水沼お父さんにトラクターで高く高く雪を積み上げてもらっておいた。暖かい日があったり凍りつく日があったりして、その雪山はしっかりと固まった。
それから剣先スコップでひたすら掘る。ママさんダンプでそれを運び出す。掘るのは楽しいのだがかき出した雪を捨てるのは重労働だ。
水沼お父さんがフラーッとやってきて手伝ってくれたがそのうちフラーっといなくなってしまった。
穴が進んでくると、自分も穴に入り込んで雪を掘らなくてはならないのだが、そうすると自分もかがんでいるしスコップの柄がひっかかってうまく力が入らない。
それでも不自然な格好でサクサクやっていると、またしても水沼お父さんフラーっと登場。「これ使え」と渡された道具は、穴グワという農機具で柄が40センチくらいのものだった。なんと、柄が短い事とその刃の破壊力がすさまじいこととで、どんどん掘り進むことができるではないか。こりゃーすごい!オモロイオモロイ!ざっくざっく!
ところでこんな短いクワ、農作業のどんな時に使うんだ?と聞いてみたら「なんも、今、そこでぶった切ってきたんだ」「…かまくら堀りのために?」「柄にする木なんてなんぼでもある」「…(感涙)ビール飲も!ビール!」今年もまたこの人にはお世話になりっぱなしになりそうだ。

ここへ来て、3年目になろうとしている。
今年はYASUにも炎創窯の作品を一つだけ作らせてもらえることになった。オリジナルの湯のみである。400個用意する。とはいえ400個商品化させるためにはボツをいくつ作ることになるのか?というわけで毎日シャカシャカと制作している(続行中)。
3分に一個のペースで作らなくてはならない。3分経ったら、その時まだ形になってなかろうが穴があいちゃおうがもうやめ~である。
慣れてくると、時間をかけてじっくり作ってみたモノよりも、思い切って一気に作ったモノのほうが、勢いがあるように見える。作者の魂が入ってのびのびと生きているように見えるのだ。
実は釉薬もオリジナルである。新しい釉薬を作り出すために、冬の間YASUはとことん勉強した。旭川の図書館から分厚い本を何度も借りてきては読みあさり、インターネットで調べ、ついに出来上がった釉薬レシピ。色はまだナイショにしておこう。
ギャラリーに登場するのはいつになるかわからないが、YASUの2年間の成長ぶりを、とくとご覧いただきたい。


3月31日。今年も、炎創窯に恒例のこいのぼりが高く高くあがった。
そのこいのぼりであるが、事件があった。
風が強い日が続いたある日、一番上のこいのぼりがついにお腹からビローンと破けた。一度降ろし、お向かいの水沼お母さんに縫ってもらう。
その数日後、水沼お母さんが畑を歩いていると、そこにド派手な布きれが落ちていた。なんだこれは、と拾い上げてみると、なんと、こいのぼりの胸ヒレではないか!巨大こいのぼりの巨大なヒレ!ヒレなんて付いてたのね~!慌てて降ろしてまた縫い付ける。
みなさん、オトコのコイとオンナのコイでは胸ヒレの位置が違うって知ってましたか~?芸が細かいですね~!というわけで、今は無事に風に泳いでいるコイ達であった。

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by yas-mid | 2018-01-26 09:25 | ひとりごと | Comments(0)

プレイバックその2

前回に引き続き、どう処分したらいいのかわからないものに、
古い携帯電話がありまして(しかも壊れている)、
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でもゲオで引き取ってくれると聞いたので持って行ってみたら、
本当に買い取ってくれました♪
良かった良かった。

さて今回も、美瑛での修行時代の日記の一部ご紹介その2です。
その1を読んでいない方は、前の記事から読んでいただければ、と思います♪

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ここにきてそろそろ一年になろうとしている。
そんな中、この辺の地区「新星第3」の新年会があり、YASUは初めて参加した。
町内会の一員として認めてもらうために、ご近所(といっても広いんだけど)と仲良くなりたいと思っていた。そのうえコーミエー先生は今年度の会長になっているし、なんだか酒とご馳走が出るというウワサなので、もぉ張り切って出席なのである。
おしゃべりを楽しみ、たらふく食べて、飲んで、そのうえ残り物まで持ち帰り、家に帰って気づいたこと「うちって町内会費払ってないよね…」。

次の朝、会場となった会館の屋根の雪降ろしをすることになった。タダ食いの分まで働くぞーと意気揚揚で出かける。
サクサクとやっていると向こうはじから始めたはずの水沼お父さんがすぐそこまで来ているではないか。
彼の手つきを見てみると、ツンツンツンと3点を叩いてザラーッと押すと1メートル四方の雪の塊がダダーッと見事に落ちていく。真似してYASUもツンツンツンと3点を叩き、押してみるが雪はびくともしない。力任せに押してみたら上のほうだけすくってサラサラと落ちてしまった。なぜだ!?何度もやるがうまくいかない。無理矢理やるから一人で汗だくになっている。水沼お父さんは涼しい顔でツンツンザラーッとすごい速さで雪を降ろす。
周りを見渡すと、屋根の上の男衆はみなツンツンザラーッとやっている。あの3点のポイントが見えるようになるまでは、新星第3の男として認められないのかもしれない。
YASUは新しい野望を胸に、ツンツンザラーッの男になることを誓うのだった。

今年も炎創窯にこいのぼりが上がった。上げるのに半日かかってしまった。水沼お父さんがいなかったら一日かかっていたかもしれない。強力な助っ人だ。マルティネスより強力だ。
それにしてもこのこいのぼりはデカイ。ここはロケーションがいいのであまり感じないが、住宅街でこんなの上げたら近所付き合いにヒビが入るだろう。
十勝岳連峰を背に青空を泳ぐこいのぼり。厳しい冬を乗り越えてついに春がやってきた、という感じがしてワクワクする。

ろくろの練習も続いていた。
「マズ、チガウカタチノ、10コ、ツクッテミテ」湯のみらしきもの、皿らしきもの、など10種類を何とか作り上げる。
「ソノナカカラ、1コ、エランデ」ではこの炎創窯パクリっぽいのにしよう。
「ジャア、ソレトオナジノ、15フンデ、5コ、ツクッテ」

もう、陶芸教室に通っているのとは違うのだ。陶芸で、食べていけるようになる訓練をしているのだ。
最初、コーミエ先生が作っているのをそばで見ているとき、アマとプロの決定的な違いはスピードと正確さだ、と思った。とにかく速い。そして同じモノを作る。
生産性を考えれば、一つ一つに時間をかけていたらそれだけ値段を高くしなくてはならなくなる。好きなものをじっくりと作ることは楽しいし、もっと上手に作れるようになりたい、と思うが、まずはろくろを自在にあやつれるようになること、それが先決なのだ。

今年最初の窯焚きと同時進行で、コーミエ先生とYASUは新しい窯を作っていた。薪の窯である。
将来、自分の窯を手作りしたいと考えているYASUには、この窯作りはイイ経験になるだろうと、コーミエ先生もいろいろ考えてくれているのである。
とは言っても、作品を焼くためのものではない。ピザやパンを焼くためのものである。窯開きはピザパーティ。
ピザ作りといえば、やってみたいのが指先で生地をグルングルンと回して伸ばしていくあのワザ。いっちょやってみようかなぁ、できるかなぁなどと考えていたらなんと!横でコーミエ先生がグルングルンとやっている!我が師は何でもデキル。スゴイ人だ。
いつの日かこの製法で作られた大皿ができるかも?とくだらないことを考えつつ、ピザをほおばる。ウ、ウマイ。
将来、陶芸家としてうだつがあがらなかったらピザ屋になろう、と、信念の弱いYASUなのであった。

毎日のYASUの活力源であるタマゴを生み続けてくれたニワトリたちが、それもメスだけが、連れて行かれることになった。ドナドナ。
3歳を過ぎると、オンナ盛りを過ぎてしまうのか、タマゴの数が少なくなってしまうそうで、入れ替えするものらしい。うちのカミサンはその十倍だけどどうなんだろう?ま、それはいいとして、彼女たちは処理されてしまう。

毎日エサを与え、ふくらはぎをつつかれ、タマゴを頂戴する。そんな暮らしをしてきたYASUには、なんだかかわいそうに思えてしまう。
普段食べているスーパーのパック入りの肉たちも、同じように、もっと早い段階で処理されているのだから、同じことなのに、人間と言うのは勝手なものである。
ソーセージになって戻ってくるというウワサもある。ちょっと美味しそう、と思ってしまう。やっぱり勝手である。
新しく、ひよこ達がやってきた。まだ先生の家の中で飼われている。またタマゴがもらえるようになるのは秋頃だそうだ。
小屋の中では、何故一人ぼっちにされたんだ?という顔で、オスのニワトリが、いつまでも悲壮な声で鳴いていた。このあと若い娘がいっぱいきまっせ、ダンナ。

さて、先月やってきたひよこ達であるが、ある日、暖かくなってきたので昼間だけニワトリ小屋に放してみた。しばらくして行ってみると、何度数えても一羽足りない。脱走したのか?その辺を探してみるが見当たらない。
夜はまた屋内に戻し、次の日また同じことをした。そして様子を見に行くと、ひよこ達が一ヶ所に集まって震えている。
その先にいたのは、なんと、ネズミだった。ネズミと言っても、ジェリーのようなかわいらしいネズミではない。エゾアカドブネズミというらしいそいつは、とてもネズミとは思えないほど体が大きく、YASUが竹の棒で突っつくとその先に向かって牙をむいてシュルシュルと声を出して威嚇するのだ。
責任感の強いオンドリも必死でネズミに対向しているが、全く効いていないのである。急いでひよこ達を避難させるがまた2匹足りない。
デカイ図体とはうらはらに動きは敏捷で、小屋をどんなに強化させても地面を掘って中に入り込み、ネズミ捕りはスルリと飛び越え、猫を置いても猫のほうがひるんでしまう、という強敵である。
そんなわけでひよこ達はしばらくダンボール小屋での生活が続くことになった。

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by yas-mid | 2018-01-24 11:58 | ひとりごと | Comments(0)

プレイバックその1

ノラには、懐かしいね~って言われるものがたくさんある方だと思いますが、

プライベート部屋にもあるんですよ!別な意味で懐かしいモノ!
じゃーん!
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Windows98!(笑)
今はなきゲートウエイですよ!懐かしくないですかー?
久々に電源を入れてみたらちゃんと動いたのです!
どうやって処分したらいいのかよくわかんなくて、
ずっと部屋の隅に置かれたまま現在に至る(笑)

実はこれ、私が人生で初めて購入したパソコンです。
パソコンなんて職場で使うものであって、自宅では必要なかった私ですが、
最初の職場を退職する際に、買ったんですよー
当時25万円くらいしたはずです、退職金で買いました!今じゃ絶対ムリー(笑)

パソコンを購入した嬉しさに、
自分でホームページを作りました。
ちょうどヤスさんが札幌のサラリーマンを辞めて、美瑛の炎創窯での修行生活を始めた頃ですので、
「脱サラYASUの 陶芸家への道」
というホームページでした。

自分のホームページを持って、初めて「知らない人とつながる」という経験をしました。
今ではSNSがあったりで、知らない人とつながるなんて当たり前のことですが、
当時は、会ったこともない人々が、修行中の生活を応援してくれるなんていうのは、
とてもビックリな出来事でしたし、
その時出会って、今もなお応援し続けてくださっている長ーい付き合いの方々がたくさんいます。

夢が叶って無事に独立をしたタイミングで、そのサイトは閉鎖したのですが、
さっきこのWindows98を開いたら、当時のホームページで使ったテキストデータが出てきて、
読みふけってしまいました。

まだ若かった私たち(政宗も)、驚きの連続だった田舎暮らし、作品ひとつ出来ただけで大喜びだったあの頃…
恥ずかしいような、情けないような、でもすごく楽しそうで、一生懸命で、
懐かしいだけじゃなく、忘れてはいけないことがいっぱい書いてあるような気がしました。

日記のページには、ヤスさんが会社を辞めるところから、独立が決まるまでの、4年半くらいの美瑛での生活が書かれていまして、
その中のごく一部を、数回に分けてご紹介しようと思います。
ヤスさん32歳、私27歳の頃の話です(笑)
よろしかったら、お付き合いください。
最初の一回は、もうだいぶスペース使ってしまったので、短めに…
だいぶ途中飛ばし飛ばしでの抜粋ですので、意味が通じないところもあるかもしれませんが、ご了承ください☆

登場人物:YASU(ヤスさん)、みどり、政宗、コーミエ先生(炎創窯の先生)、ゆうこさん(コーミエ先生の奥様)、水沼さん(お向かいさん)
*今回出てくる、豚の丸焼き祭りは、その後ノラガマで引き継がれた伝説のお祭りです(笑)
***********************


世の社会人もドキドキした初日を迎えたことであろうが、YASUも緊張と期待に胸がふくらんでいた。

最初にYASUに与えられた仕事は「ニワトリ達にエサをやり、卵を取ってくること」だった。ニワトリは10羽いて、そのうち9羽がメスである。責任感の強いたった一羽のオンドリは、初対面のYASUにくちばし攻撃を開始した。しかしYASUがエサ箱にエサを流し入れると、みんな一気にYASUのことが大好きになったようだ。

毎日4~8個のタマゴを生み、コーミエー先生宅でもさすがにそんなには食べられないため、毎日YASUに2個づつくれることになった。これで晴れてYASUはタマゴには事欠かない生活を保障されたのであった。


4月のある日、コーミエー先生が「コイノボリ、タテマショウ」と言った。日本人よりもこういう行事を重んじるものなのかもしれない。

こいのぼりは巨大なもので、大人二人でも苦労する作業である。それでもなんとか空高く上がった見事なこいのぼり。「オッケーでーっす!」と叫ぶYASU。

それから数十分後、外出先から戻ってきた先生は悲しそうに言った「YASU、コイノボリ、サカサマデス」。みると、全てのこいのぼりが腹を上に向け、苦しそうに泳いでいた…。スマン!長男ENZO君、健やかに育ってくれ…


「ニチヨウビ、窯ニ火イレルヨ」と先生が言った。YASUが来て初めての窯入れ、心が躍る。窯の中に慎重に作品を並べる作業は、トランプでタワーを立てる作業に似ていて、集中力が必要だ。

朝8時、点火。これから30分ごとに温度をチェックするので、明日の朝まで徹夜となる。窯の中には最終的には1300度まで上がる。窯の7箇所に設置されたレンガを引き抜き、すばやく温度計を読む。ほんの一瞬のことなのに、熱風で顔が焼けそうだ。

窯入れは毎回同じように焼いても、そのときによって出来上がりが違うという。「カマハ、イツモ、エキサイティングダネ」先生が言った。夜更けに、コーミエー先生が夜食を作ってくれた。その名も「シンガポールチャーハン」。スパイシーでおいしかった。

徹夜は前職で慣れていたが、締め切り明けとはまた違う、心地よい疲れがYASUを襲っていた。


8月26日、ブタの丸焼き祭り。

朝6時、YASUのランクル60でブタを取りに向かう。お店の男性と2人で、荷台に積もうとするがやたらと重いし脂で手がすべる。気づくと車内に昔買った皮のグローブ発見。はめて持つと、うーん、しっくり持てる。「これ、ブタ皮なんです」クスクスクス。

帰ってきて、準備を始めるが、何もかもが上手くいかない。もたついていると、向かいの水沼さん登場。「なーにやってんだおめえ、そんなんじゃブタはまらんぞ!おーい、針金もってこーい!」なんという手際のよさ。この辺のオジサン達は本当にスゴイ人ばかりで感心させられる。チェンソー持たせても、のこぎり持たせても、ダンプに乗せても馬に乗せても超一流だ。

そんな助っ人たちのおかげで祭りが始まった。朝の雨もあがり、続々とお客さんがやってくる。上富良野町の保健所から監視の人もやってきた。現在、ブタは半身以下でないと流通させてはいけないことになっている。今回は特例として、1匹まるごとを許可してもらっているのだ。今回のブタは、頭を取って血を抜いて皮をはいで手足の先を切り落とした状態で70キロ。これで生後3ヶ月くらいだというのだから驚きだ。

庭ではいい匂いがたちこめ、200個のおにぎりも相当の量用意したビールもなくなってしまう。ウマイウマイと聞こえてくる声。ギャラリーで接客に大忙しで肉にありつけないYASU。アセる!しかし、丸焼きのブタは食べても食べてもなくならない、見事な巨体の持ち主だったのだ。夕方、やっと口にしたブタの味は、高校を卒業して札幌に出てきた時、ケンタッキーフライドチキンを初めて食べた時の感動に似ていた。夜の花火、音楽。第一回炎創窯ブタの丸焼き祭りは、大成功の中、幕を閉じた。



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by yas-mid | 2018-01-22 17:13 | ひとりごと | Comments(3)

青春の1ページ

高校生の教え子たちはセンター試験に旅立ちまして、
小中学生の冬期講習も終わり、ひと段落です。
この後は高校入試にむけてあと1か月半がんばります!

ここ一週間も、ずっと自宅と塾の往復でしたので、特にブログネタもありません。
なんで、お正月に父親から聞いた面白い思い出話をここでバラします(笑)

東京で大学生をしていた父(昭和19年生まれ)は、登山が趣味でした。
大学生の長い夏休みを使って、友達と二人で登山旅行に行くことにしました。
しかし東京から離れた場所の山だったことと、けっこう大掛かりな縦走登山旅行だということもあり、
まとまったお金が必要でしたので、
夏休みの前半はアルバイトをして、後半に稼いだお金で旅行する、という計画を立てました。

当時、もっとも稼げるバイトの一つに、船からの荷の積み下ろしをする、というものがあったそうです。
船が運んできた荷物を、岸に下ろすだけの単純作業で、
現代はフォークリフトがそれをやっているんでしょうけど、
当時は人力でやっていたんだそうです。

船と岸壁の間は歩くとドヨンドヨンと揺れる浮き橋で、
30キロとか40キロの荷物を持ってそれを渡って岸に下ろす、もちろん絶対に落としてはいけないわけで、
しかも荷物に付いてきた南京虫とかが体に付くこともあり、すごく辛いし汚い肉体労働だったそうです。
でも、一日3時間働けばOKで、今のお金にすると3時間で10000円くらいもらえるような超高給バイト。
お金が欲しくて体力に自信がある男子大学生が夏休みになるとわんさかやってくるけれど、
スタートして一週間で、人数が半分以下になってしまうという、過酷なお仕事だったそうです。

しかし父とお友達はそれを一か月やりきり、大学生には持ち慣れない額の大金をゲットしました。

そして旅行初日の朝、急行列車に乗って出かける父とお友達。
父はお友達に言いました。
「お前はおっちょこちょいだから、大金を持っていると落としたり盗まれたりしそうだから、
俺が預かってやるよ」
父もひどいことを言うもんだと思いますが、お友達も自覚があったのか「そうか、じゃあ頼む」と大金を父に預けました。

しばらくして、父は列車の中のトイレに行きました。
ふっ、とかがんだ時に、なんと、お友達のお金も入った大金×2のお財布が、ポロリとポケットから落ちたのです!
ぎゃー!話を聞いていた私は思わず耳をふさぎましたよ!おっちょこちょいはどっちだよー!
ある程度の年齢の方だったら覚えているでしょう、昔、列車のトイレは穴が開いているだけでした。
つまり、線路の上に落としてしまったということです。

落とした瞬間に、父は腕時計を見たそうです。〇時〇分。
トイレなので窓はないためその瞬間の外の様子はわからず。
次の駅で降りて探しに行くことにしたわけですが、なんせ急行、次の停車駅がやたらと遠い。
旅行なので土地勘もなく、どの辺に落としたのかも見当もつかない、ただ時間計算で想像ができるだけ。

父とお友達は、重たい旅行ザックを背負って、ひたすら線路を歩きました。
バウンドして脇に転がっているかもしれないから、目を皿のようにして、ひたすら歩きました。
そして歩くこと6時間!
なんと!あったのです!線路の上に黒い財布!もちろん大金×2も無事!
そして、その財布からわずか3メートル先は、鉄橋になっていて、はるか下に川がゴーゴーと流れていたそうです。

実家のアルバムには、大学生の父が、線路上で友だちとバンザイしている写真がありました。
そのお友達とは、卒業してから会っていないそうですが、いまだに年賀状のやりとりだけは続いていて、
毎年、コメントの最後には同じ一文が書かれているそうです。

「あの時にお前に財布を預けなければよかった!」

今年も、ちゃんとその年賀状が届いておりました(笑)


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by yas-mid | 2018-01-14 16:58 | ひとりごと | Comments(2)

2017年ありがとうございました!

大晦日になりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私は昨日が仕事納めで、今は実家に帰省するために札幌行きのバスに乗っています。

2017年、事故なく健康に過ごせたことを嬉しく思います。
お店にはたくさんのお客様に来ていただいて、楽しい時間を過ごすことができ幸せでした♪
普通ならこういう時期に、来年の抱負!なんぞ発表するのでしょうが、
考えてみても、今年みたいな穏やかで楽しい一年だったらいいな、と思うばかりです(向上心なし)

内緒でしたがこの一年でなんと5キロも太りまして(笑)
それだけは新しい年はなんとかしたいです…

関わってくださった全ての方に、ありがとうございました!
2018年も素敵な年でありますよーに!

今年最後の1枚はどの写真にするかなー

ここしばらく毎日朝9時から夜9時まで塾にいる生活をしています。
家には寝に帰るだけ、なんかもう合宿みたいな日々です(笑)
体は正直かなりしんどいですが、めんこい子どもたちに毎日癒やされたり、感心させられたり、爆笑させられたりで、
楽しく働いています。

小6の男子のマル付けをしていたら、彼の描いた伊藤博文があまりに上手で衝撃!
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彼はこの前の日には徳川慶喜を描いてこれまた上手だったのですが、
伊藤博文は昔お札だったからわかるけど、徳川慶喜なんてどんな顔か知りませんでしたよ(笑)

みんなそれぞれにスゴイところがあるのです。ホント。
正月明けは子どもたちの方が金持ちだろうなー(笑)
彼らのパワーに負けないよう、このお休みでエネルギー満タンにして、また頑張ります!

では皆さま、良いお年をー!

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by yas-mid | 2017-12-31 11:11 | ひとりごと | Comments(2)

ゴレンジャーの思い出

今日はJRで上富良野まで行きまして、
そこから走って帰ってきました(寄り道して21キロ)。
富良野線150系と、お隣にカワイイ働く車両。
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とてもお天気が良くて、すっかり白くなった十勝岳連峰がはっきり見えました。
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でもスゴイしんどかった~ ひ~☆
10日後はハーフマラソンなのですが、制限時間内に完走できるか心配になってきました…

で孤独に走っていると暇なもんで、
いろんなことを考えているんですけど、

先日お客様と戦隊ヒーローの話になって、
今やってるのはキュウレンジャーっていう9人組らしいんですけど、
そのことから私のゴレンジャー事件を思い出しました。


あれは私が小学校に入るか入らないかくらいの歳だったと思います。
2つ上の兄が、当然ながらゴレンジャーが好きで、
遊園地かテーマパークかお祭り会場か忘れましたが、
とにかくゴレンジャーがやってくる!ということで、
うちの家族と叔母でゴレンジャーショーを観にいったんですよね。

私は女の子ですから、やっぱりモモレンジャーにくぎ付け。
女子なのに、バック宙したり回し蹴りしたりするの、カッコよくて憧れますよね。
だからずっとモモレンジャーだけを目で追っていたんですよ。

そしたらスゴイことに気づいてしまうのです!

このモモレンジャー、おっぱいもあるけど、股間もモッコリしてる…

もう少し大人になればわかりますよ。
アクロバティックな動きをするから、いつも男性が中に入っていたと思います。
ただ、モモ役はできるだけ小柄な男性を選んでいただろうに、
この日は見つからなかったのか、小柄じゃない男性が中に入っていたんでしょう。
他の4色の男レンジャーよりも、ぴちぴちになってモッコリが目立ってたんですよね。
(これは後にその日の写真を実家のアルバムで見て判明しました)

でもまだ小さい私!
「はっ!このモモレンジャー、にせものだ!!!」

会場の中でその事実に気づいているのは自分だけだと思っているわけです。
本物のモモレンジャーは、どこかで猿ぐつわをはめられて、縛られているかもしれない…
どうしよう!助けにいかなきゃいけない!

でも、ステージの上には怖そうな黒十字軍がいるのですよ。
「ここにいるガキどもを、皆殺しにしてやるー ぐわはは」とか言ってるわけですよ。
ここで私が「モモレンジャーがにせものだ!」なんて叫んで、秘密を知っていることがバレたら、
一番最初に殺されてしまう…

どうしよう!どうしよう!
体はガタガタと震え、もうショーを観ていることなんでできず、
ただひたすらに、うつむいて、どうしたらいいのか考えて考えて…

そんなことをしているうちに、ステージ上ではヒーローたちが悪者をバッタバッタとやっつけ始め、ショーはクライマックス!
客席の子供たちは立ち上がって腕を振り上げて応援したり拍手をしている時に、

答えが出せなかった私だけ、ギャン泣き(笑)

全然泣くタイミングじゃない時に、私だけがギャン泣き。
これには家族も動揺し、「どうしたの?なんで泣くの?どっちの味方?」
ジェットコースターにもお化け屋敷にも泣かない私が、
なぜかヒーローが活躍しているシーンで、迷惑なほどのギャン泣き。

ショーのあと、ヒーローと記念撮影ができるのに、
私は絶対に行かない!と駄々をこね、
兄だけがヒーローに囲まれて嬉しそうに撮影されていました。

帰り道、もう大丈夫と思ったのか、私だけが知っている衝撃の真実を親に打ち明けました。

ご想像のとおり、両親も叔母も、ひっくり返って涙を流しながら大爆笑していました☆


昨日、キュウレンジャーがどんなのか、動画で観ましたけど、
やっぱり女子のレンジャーの股間をチェックしてしまうんですよね(笑)
でも、戦隊シリーズ2作目のジャッカー電撃隊では、
女子レンジャーにオーバースカートをはかせたんです!
あのオーバースカートは、絶対に股間対策だと思うんですよ!

きっと、モモレンジャーがニセモノであることに気づいた女の子が、
私以外にもたくさんいて、オーバースカートが生まれたんだと思いますよー!

その後3作目のバトルフィーバーJのミスアメリカはハイレグ姿、
4作目のデンジマンでオーバースカートに戻りますが、
6作目のゴーグルファイブ以降のピンクはオーバースカートなしもいるので、
このころから、女性でもアクロバティックな動きができる人が出てきて、
中の人も女性でいけるようになったんでしょうね~

最新のキュウレンジャーの女子2人は、オーバースカートをはいています。

ニセモノかもよ!(笑)



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by yas-mid | 2017-10-19 21:46 | ひとりごと | Comments(3)