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プレイバックその1

ノラには、懐かしいね~って言われるものがたくさんある方だと思いますが、

プライベート部屋にもあるんですよ!別な意味で懐かしいモノ!
じゃーん!
プレイバックその1_e0055073_17013627.jpg
Windows98!(笑)
今はなきゲートウエイですよ!懐かしくないですかー?
久々に電源を入れてみたらちゃんと動いたのです!
どうやって処分したらいいのかよくわかんなくて、
ずっと部屋の隅に置かれたまま現在に至る(笑)

実はこれ、私が人生で初めて購入したパソコンです。
パソコンなんて職場で使うものであって、自宅では必要なかった私ですが、
最初の職場を退職する際に、買ったんですよー
当時25万円くらいしたはずです、退職金で買いました!今じゃ絶対ムリー(笑)

パソコンを購入した嬉しさに、
自分でホームページを作りました。
ちょうどヤスさんが札幌のサラリーマンを辞めて、美瑛の炎創窯での修行生活を始めた頃ですので、
「脱サラYASUの 陶芸家への道」
というホームページでした。

自分のホームページを持って、初めて「知らない人とつながる」という経験をしました。
今ではSNSがあったりで、知らない人とつながるなんて当たり前のことですが、
当時は、会ったこともない人々が、修行中の生活を応援してくれるなんていうのは、
とてもビックリな出来事でしたし、
その時出会って、今もなお応援し続けてくださっている長ーい付き合いの方々がたくさんいます。

夢が叶って無事に独立をしたタイミングで、そのサイトは閉鎖したのですが、
さっきこのWindows98を開いたら、当時のホームページで使ったテキストデータが出てきて、
読みふけってしまいました。

まだ若かった私たち(政宗も)、驚きの連続だった田舎暮らし、作品ひとつ出来ただけで大喜びだったあの頃…
恥ずかしいような、情けないような、でもすごく楽しそうで、一生懸命で、
懐かしいだけじゃなく、忘れてはいけないことがいっぱい書いてあるような気がしました。

日記のページには、ヤスさんが会社を辞めるところから、独立が決まるまでの、4年半くらいの美瑛での生活が書かれていまして、
その中のごく一部を、数回に分けてご紹介しようと思います。
ヤスさん32歳、私27歳の頃の話です(笑)
よろしかったら、お付き合いください。
最初の一回は、もうだいぶスペース使ってしまったので、短めに…
だいぶ途中飛ばし飛ばしでの抜粋ですので、意味が通じないところもあるかもしれませんが、ご了承ください☆

登場人物:YASU(ヤスさん)、みどり、政宗、コーミエ先生(炎創窯の先生)、ゆうこさん(コーミエ先生の奥様)、水沼さん(お向かいさん)
*今回出てくる、豚の丸焼き祭りは、その後ノラガマで引き継がれた伝説のお祭りです(笑)
***********************


世の社会人もドキドキした初日を迎えたことであろうが、YASUも緊張と期待に胸がふくらんでいた。

最初にYASUに与えられた仕事は「ニワトリ達にエサをやり、卵を取ってくること」だった。ニワトリは10羽いて、そのうち9羽がメスである。責任感の強いたった一羽のオンドリは、初対面のYASUにくちばし攻撃を開始した。しかしYASUがエサ箱にエサを流し入れると、みんな一気にYASUのことが大好きになったようだ。

毎日4~8個のタマゴを生み、コーミエー先生宅でもさすがにそんなには食べられないため、毎日YASUに2個づつくれることになった。これで晴れてYASUはタマゴには事欠かない生活を保障されたのであった。


4月のある日、コーミエー先生が「コイノボリ、タテマショウ」と言った。日本人よりもこういう行事を重んじるものなのかもしれない。

こいのぼりは巨大なもので、大人二人でも苦労する作業である。それでもなんとか空高く上がった見事なこいのぼり。「オッケーでーっす!」と叫ぶYASU。

それから数十分後、外出先から戻ってきた先生は悲しそうに言った「YASU、コイノボリ、サカサマデス」。みると、全てのこいのぼりが腹を上に向け、苦しそうに泳いでいた…。スマン!長男ENZO君、健やかに育ってくれ…


「ニチヨウビ、窯ニ火イレルヨ」と先生が言った。YASUが来て初めての窯入れ、心が躍る。窯の中に慎重に作品を並べる作業は、トランプでタワーを立てる作業に似ていて、集中力が必要だ。

朝8時、点火。これから30分ごとに温度をチェックするので、明日の朝まで徹夜となる。窯の中には最終的には1300度まで上がる。窯の7箇所に設置されたレンガを引き抜き、すばやく温度計を読む。ほんの一瞬のことなのに、熱風で顔が焼けそうだ。

窯入れは毎回同じように焼いても、そのときによって出来上がりが違うという。「カマハ、イツモ、エキサイティングダネ」先生が言った。夜更けに、コーミエー先生が夜食を作ってくれた。その名も「シンガポールチャーハン」。スパイシーでおいしかった。

徹夜は前職で慣れていたが、締め切り明けとはまた違う、心地よい疲れがYASUを襲っていた。


8月26日、ブタの丸焼き祭り。

朝6時、YASUのランクル60でブタを取りに向かう。お店の男性と2人で、荷台に積もうとするがやたらと重いし脂で手がすべる。気づくと車内に昔買った皮のグローブ発見。はめて持つと、うーん、しっくり持てる。「これ、ブタ皮なんです」クスクスクス。

帰ってきて、準備を始めるが、何もかもが上手くいかない。もたついていると、向かいの水沼さん登場。「なーにやってんだおめえ、そんなんじゃブタはまらんぞ!おーい、針金もってこーい!」なんという手際のよさ。この辺のオジサン達は本当にスゴイ人ばかりで感心させられる。チェンソー持たせても、のこぎり持たせても、ダンプに乗せても馬に乗せても超一流だ。

そんな助っ人たちのおかげで祭りが始まった。朝の雨もあがり、続々とお客さんがやってくる。上富良野町の保健所から監視の人もやってきた。現在、ブタは半身以下でないと流通させてはいけないことになっている。今回は特例として、1匹まるごとを許可してもらっているのだ。今回のブタは、頭を取って血を抜いて皮をはいで手足の先を切り落とした状態で70キロ。これで生後3ヶ月くらいだというのだから驚きだ。

庭ではいい匂いがたちこめ、200個のおにぎりも相当の量用意したビールもなくなってしまう。ウマイウマイと聞こえてくる声。ギャラリーで接客に大忙しで肉にありつけないYASU。アセる!しかし、丸焼きのブタは食べても食べてもなくならない、見事な巨体の持ち主だったのだ。夕方、やっと口にしたブタの味は、高校を卒業して札幌に出てきた時、ケンタッキーフライドチキンを初めて食べた時の感動に似ていた。夜の花火、音楽。第一回炎創窯ブタの丸焼き祭りは、大成功の中、幕を閉じた。



by yas-mid | 2018-01-22 17:13 | ひとりごと | Comments(3)
Commented by オバマ at 2018-01-23 09:43 x
そうそう、ブタの丸焼き会、話だけ聞いたことあったなー!と思い出しました。今でもめっちゃ面白いです!本になりませんか?(笑)

そんなこと思いながら寝返りを打ったら、もらってきたブタのぬいぐるみが添い寝してました…
Commented by まゆ at 2018-01-23 16:54 x
ヤスさんのリアクションが想像できて、ひとりでニタニタしながら読んでました(笑)
育児の合間のオアシスに連載希望します(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
Commented by yas-mid at 2018-01-24 11:50
●オバマちゃん
ブヒブヒー!寝ぼけて丸焼きにしてしまわないよーに(笑)
日記読んでくれてありがとう!全4編くらいかな?このあともお楽しみに!
豚の丸焼き祭りは今思うとすごい祭りでした…もうできません(笑)
●まゆちゃん
しっかりお母さんやってるのねー!えらいえらい!次に会う時にはすっかり大きくなってるんだろうねー楽しみ♪
忙しいと思うけど、楽しんで育児してください♪昼寝ちゅうにブログも覗いてね♪旦那さまにもよろしくねー!
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